ACミランはサッカー好きの最大の憧れだった、そんなミランが隣町で活動しててマジビックリ!!愛知サマーセミナーにいった話(後編)
えと、
愛知サマーセミナーでACミランサッカースクール愛知のマテオ・コントテクニカルディレクターのお話しを伺ったという話です。
少年達が楽しんでサッカー出来る環境、成長に必要な指導者の考え方、大人の考え方
なんて話だったので、子供たちはもうつまらなさ過ぎて歩いてどっかいったり、ママに甘えたり、保護者のかたも子供になんとなくついてきた方はもううつらうつらだった
一通り説明が終わった時点でお約束通り そう
質疑応答のコーナー
この質疑応答というのが日本人は下手な気がする
というのは、セミナーの話といのはとてもよくまとめられており、非常に分かりやすいことがほとんどだからだ。加えて日本人はとても素直で相手の話をよく聞く、相手を理解して自己主張しないので質問が上手くないのだと思う。
マテオTD(通訳 山田コーディネーター)
それではここから質疑応答に入ります
質問を3つ受付ますのでどうぞ!!
会場の皆さん
・・・・・・・・・・・
(やべ、何質問していいのかな・・・)
・・・・・・・・・・・
まる
(この無言・・・打ち破らねば!!!)
はい!それでは1つよろしいですか?
マテオ氏と山田氏
はい!じゃあどうぞ!!
会場
(ふう・・・質問してくれてよかった・・・)⇐多分
まる
先ほど プレーする選手は感情をありのままに出すことが望ましいというお話がありました。喜びなどのポジティブな感情に関しては良いと思うのですが、怒りやイラつきなどあまり良くない感情も出してしまう選手はどうすればよろしいか教えていただきたいと思います。
マテオ氏
なるほど、よくあることだと思います。
とくにネガティブな感情がよく出てしまう選手の場合にありがちなのが
自身に高い過ぎるハードルを設定してしまいそこに到達できないことがストレスとなることが多いです。
ですので、指導者は「勝負に勝つこと、点を取る事」よりも大切な事を教えてあげてください。
ここでいう「大切な事」とは選手が自分の力を100%発揮することです。
それができるかできないか、自分にやれることをしっかりやったなら自分に不満など持たないでいいということを教えてあげて下さい。
まる
はい、ありがとうございました。
正直、こんな質問にサッと解答できるって本当に凄いと思う
感動した
マテオ氏
さて、それでは次の質問に移りたいと思います。
質問のあるかた挙手ねがいます
会場
(・・・・・・・・・やっべ 何聞いていいんだよ・・・)
まる
(だれもいない・・・ こんな凄い指導者に恥をかかすわけにはいかない)
はい!!それではもう一つ!!
マテオ氏
!!はい!どうぞ
まる
うちの選手のなかでファウルがとても多いプレーヤーがいます。
フェアプレーの観点やケガなども考えてもファウルを減らしたプレーをしてもらいたいと考えています。どのように指導していけばよろしいですか?
マテオ氏
とてもよい質問です。
まず、ファウルというのはサッカーの試合の中で必ず発生するものです。
ファウルなしで試合を終えることはできません。まず、そのことを理解してほしいのです。
特にイタリアでは少年の世代でももっと当たりが激しいです。日本の子供をイタリアに連れていくと子供たちはビックリしてしまう程です。
特に日本人は優しい人が多く、フェアプレーを重んじます、しかし、ことサッカーというスポーツにおいてこの素晴らしい品性がマイナスに働くことも往々にしてあるのです。
しかし、安易なファウルはチームにとっても非常にマイナスに働くことは確かです
ファウルが多い選手にはピッチのどの場所でファウルをするべきか、指導者が教える必要性があります。
まる
ありがとうございました。
(すごい中身の濃い話だなぁ・・)
マテオ氏
さて、最後3つ目の質問です。
挙手をどうぞ
子供
どうやったらリフティングがうまくなりますかー?
マテオ氏
ははは!なるほどね!!
ミランにフィリッポ・インザーギというセリエAで200点取った選手がいます。
彼はリフティングが2回しかできなかった。
なので大事なのはリフティングの上手さとサッカーの上手さはイコールではありません
大事なのは点を取る事!!
正直、セミナーに来るまではエリートを養成するスクールだと思ってました。
しかし、ACミランサッカースクールは子供たちにサッカーの素晴らしさ、サッカーを通した成長の場を作る。素晴らしいスクールでした。
もし、自分も今後こういうクラブを作れるようになりたいし、マテオ氏のような素晴しい指導者に一歩でも近づけたらと思います。
ACミランはサッカー好きの最大の憧れだった、そんなミランが隣町で活動しててマジビックリ!!愛知サマーセミナーにいった話(前編)
サッカー好きな人なら避けて通れない憧れそれはACミラン
私が少年サッカーをしていたころ欧州の覇権を手にしていたサッカークラブACミラン
スカパーなど無い当時でさえその栄光は地球の裏側まで轟いていた。
そのクラブの繁栄はその後20年衰えることなく世界中のサッカーファンを魅了し続けた。
フリット ライカールト ファンバステン バレージ マルディーニ ウェア
サビチェビッチ ボバン シェフチェンコ カカ インザーギ ピルロ
現在は低迷しているが、世界中の大人のサッカー好きはミランなくして語れないほどだ
酔っぱらった帰り道、道端のポスター
少し前の事、酔っぱらって駅から歩いていると1枚のポスターが貼ってあった
著名人や芸能人などがきて為になる話をしてくれるらしい
そのなかでACミランのスクールコーチが来てセミナーをしてくれるというのだ
そもそもACミランサッカースクールが日本にあることも初めて知ったし!!
なんか一人で行くのはちょっと気が引けるけどこんな機会あんまりないし行ってみよう!!と思いセミナーに参加してみた。
よくよく調べてみると自宅の隣の区の高校で小学生くらいを対象にスクールをしているらしい。
詳しくは「ACミランサッカースクール 愛知」で検索してみて下さい
これは凄い!!!
いまの子供たちはACミランの下部組織でサッカーを学べるのだ
もし自分が子供に戻ったら迷わず入っちゃうなこれ
セミナー当日
セミナーは1限、2限と分かれていて1限は子供を対象としたサッカーの実技
2限目は保護者や一般の大人対象のACミランの育成方針である。
私は2限目から参加した。
スクリーン左がテクニカルディレクターのマテオ・コント氏
当然イタリア人なのでコーディネーターの山田さんという方が通訳をしてくれた
ACミランサッカースクールの方針
まず、ACミランサッカースクールは小人数のエリートを育てるスクールではなく
サッカーをすることによって子供に人間的な成長をしてもらう
これが最大の目的のスクールである。
例えば、
日本のジュニアのチームだったらコーチの言う通りにプレーさせるところを選手が自分で考えてプレーさせるとか、
日本人は感情を表現することを遠慮させるが、ゲームの中で様々な感情を表現していくとか
サッカーをする選手の個性、人間性を尊重したうえで必要となる技術、フィジカルなどを作っていく。
奴隷のような部活とは正反対の環境である
前編はここまでで後編は私がマテオTDにいくつか質問をしたのでそれをまとめます
給付型奨学金とはなんなのか、これからの世の中は奨学金を返済できない世の中なのか
7月の参議院議員通常選挙で様々な党が公約として給付型奨学金を掲げていた。
私は勉強が嫌いだったので大学には進学しなかった。
勉強が好きだけど経済的理由で大学に行けない人はもちろんいるだろう。
とくにこれからますますそういう若者は増えていくと思う
だから奨学金を給付型にしてもらえれば意欲があれば学べる、、、と単純に考えて欲しくない
今、この世の中で本当に考えないといけないのは奨学金の「返済」が困難だということが問題であると私は考えている。
何年か前まで大卒の生涯賃金は高卒と比較しておおよそ5000万円違うと聞いた
だが現実には大卒でも低賃金で、奨学金を返済できなくなるケースがあるらしい。
この事実に関して、気になることがある。報道やコラムなどでは「奨学金」がなぜか悪者になっている。
私はこのような思想や報道が気に入らない。
「奨学金」は進学したが自ら選んだ「借金」であり、無理なく返済できるかは借りる前に考えなければいけない
例えば300万円の奨学金をかりるとしたら、就職後5年くらいで返済できるか、また大学に進学することで就職後に経済的なメリットがどこまであるか把握する、シミュレーションしておく必要性は当然出てくるのである
現代の年収の移り変わり
日本人の平均年収は下がり続けている
これによって親の収入で子供を進学させることは困難になり、奨学金のサクッとした返済も難しくなる。
勉強したいという意欲と同時に現実を学び解決する知恵も持ち合わせないとお金持ちの養分になる世の中なのである。
給付型奨学金をもらえるようになったら利用するのも良いだろう。しかし、なぜ給付型奨学金が必要な社会になってしまったのか?
そこを本気で考えてもらいたいのだ
夢は叶えるもんだからと安室奈美恵は歌った でも「夢」ってなんやねんて話
(私が中学校の時、今とは違いCDが嘘みたいに売れていた。みんな音楽番組を必死で見て最新の流行ソングを聞いて過ごしてた。今では考えられないが当時はそれが楽しかった、その中で一大旋風を巻き起こしたのが小室哲哉プロデュース、いわゆる小室ファミリーといわれるアーティストである。
その時分、安室奈美恵は夢なんて見るもんじゃない語るもんじゃない叶えるもんだからと歌っていた。
当時中学生だったの私の夢は自動車の設計エンジニアだったまだ免許もなく家にクルマがないにも関わらずスポーツカー等が好きでクルマ雑誌を読み漁っていた
その夢は高校進学後ににわか雨のように消えてなくなるのである。
いったい夢とはなんなのか?
目標とか野望とか願望とか将来を思い描く言葉はあるが夢を定義することはなかなか難しいような気はする。
自分では夢だと思っていたのに、よくよく考えたら
他人に羨ましがられたいとか
有名になる事でモテたいとか
なんとなく憧れのイメージがあるとか
そんなことは往々にしてある。
例えばミュージシャンになるという「夢」だとしたら
段階でいうと
1 楽器をはじめる
2 ある程度演奏できるようになる
3 人前で演奏できる
4 人前で上手く演奏できる
5 バンドを組んで小さいライブハウスでライブをする
6 バンドを組んで割と大きいライブハウスでライブをする
7 レコード会社の目に留まり契約する
8 CD等の音源を発売する。
9 ライブやCDが世間に認知され、人気が出る。
10 人気や知名度、実力もあるようやくプロのミュージシャン
1から4の段階で10を求めることは「夢」ではないと思う
5から8の段階でどうしても世間のみんなに伝えたいこと、自分にしかできない表現があるから10を目指すといのは「夢」と認定してもいいとは思う。
結論として、なにも体験したことのない世界にあこがれを抱いたり、ちょっと経験したり、体験しただけでトップを目指すことは「夢」でもなんでもない。
「夢」とはなにかをある程度経験し、それでもなおその世界で成し遂げたい強いモチベーションがあるもののみに許される言葉である。)
Netflix火花お題「夢と挫折」
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腰痛は運命なのか必然なのか とりあえず接骨院に行きました
腰痛のエピソードなら数多い
私は腰が弱い。
基本的に親から授かった私の体はなかなか大きくてパワフルであるのだが、いかんせん疲労などが腰にたまる体質らしい。
生まれて初めてそれを感じたのは中学校の部活でのことだ、私の体の特性であるのか疲労が腰の部分だけ抜けず、筋肉のハリが取れなくて苦労した、周囲からはなかなか理解してもらえず部活も休めなかった。
高校生になり、上半身の筋肉がついてきたことでこの問題は一応の収束した。
かに見えた、、、
しかし、20歳のときに20キロぐらいのポリ容器を持ち上げたときギックリしてしまってそれ以来4年に一度くらいはギックリするのである。
にもかかわらず現在の仕事は中腰での仕事ばかりである
神はなぜこのような試練を与えたもうたか
これは偶然なのか?こういう運命だったのか?
4月の半ばに差し掛かろうかという時期に私の腰はとうとう限界を迎え接骨院に行くことにした。
自宅から5分の「いしいファミリィほねつぎ」さん
健康保険が使えるかよくわからなかったが使えるようだ
どうやら
偶発的なアクシデントによってもたらされる腰痛➡保険きく
慢性的な理由のない腰痛➡保険効かない
という構造らしい
余談だが昔ショッピングモールの中にあるマッサージ店で腰をもみほぐしてもらおうとしたら「腰をもんでください」といったにもかかわらずおっさんのマッサージ師におっぱいをコネコネされて泣く泣く帰ってきた覚えがある。
そんなトラウマをもった私を「いしいファミリーほねつぎ」さんは優しく出迎えてくれマンガたっぷりの待合室で時間をつぶし、しっかりと体を整えていただいた。
次の日にはウソのように体が軽くなり大変ありがたいなと思った。
どうやら接骨院には
とりあえず痛いところをもみほぐして施術代を稼ぐ所もあるらしいのでなかなか治らない場合は医院を変えた方がいいみたいである。