心得を学ぶこと フットサル監督としての船出
運命は向こうからやってくるとある人は言った
あるふとしたきっかけがその後の人生に大きな影響を与えることが出てくる
そのきっかけは予期せぬタイミングでふと現れ我々の運命をも変えていく
3年前の2013年、私の日課というと朝仕事に出かけ夕方帰宅し、高カロリーなおかずを作りそれを肴に白ワインを浴びるように飲みそのまま眠りに落ちるという非常にアナーキーな生活を送っていた。酒は味を楽しむということもあったが「泥酔する」という行為によって思考を麻痺させる為のものだった。
ただ目の前のことをこなす夢のない生活 私は荒んでいた
そんなときスカパーのキャンペーンで1か月無料で全チャンネルが見れるというのをやっていて地上波のテレビ番組に飽き飽きしていた私はなんとなく申し込んだ。
あんまり面白そうなコンテンツはなかったが、サッカー観戦は割と好きだったのでひたすらサッカーを見ていた。
とある日である
私はドイツ ブンデスリーガのバイエルンミュンヘンの試合を観ていた
酔ったまま見ていたのだがその余りにも完成されたフットボールに私の目線は釘付けになっていた。
サッカーというスポーツは数十秒ごとにボールを持つチームが入れ替わるのだが
バイエルンは華麗に美しくボールを支配し続けた。
決勝点こそ終了間際だったがパスの本数が相手チームの170本に対してバイエルンミュンヘンは750本くらいだったと思う。
そのときの衝撃は相当なものだった
チームの監督はジョゼップ・グァルディオラ
FCバルセロナで一時代を築いた名将である。
監督をやるということ
その数か月後に私はフットサルを始めることを決めた
やるからにはあのバイエルンのような完璧なサッカー(フットサル)をいつかやってみたいという思いは持っていた。
私はたちまちフットサルの虜になり、始めてから一年練習をサボったことは一回もなかった、捻挫でプレーできないときも練習場に足を運びプレーを観察した。
しかし、私は一つこのチームで不満を抱えていた
それは試合へのアプローチである。
私はどの大会でも勝ちたかったし、たとえ実力差があるチームと対戦しても戦い方次第で結果は変わると思っていた。
ある試合で敗れたなら次はそこを修正してより勝利に近づくその積み重ねで経験を積み成長することができると信じていた。
ただ現実はその話し合いやミーティングは行われずただ戦ってただ敗れるという現実
その時の代表の方に遠まわしに私の思いを伝えたのだがどうやら私の考えとは決定的に違っていたようで私は彼の考えを理解することはできなかったし、私の考えも彼に理解されることはなかった。
だが、このチームは私のチームではない、私には参加する権利はあってもチーム自体を変化させていく権限はない。
このときに私は自分が監督をやることに決めた。
監督をやる為にチームを作ることも自然の流れだった
監督としての哲学はグァルディオラに学んだ
画像はフアン・カルロス・クベイロ レオノール・ガジャルド著の「グァルディオラのサッカー哲学」である。
私はあのバイエルンの試合を観てからずっとグァルディオラのような監督になりたいと考えていた。
これから行うトレーニングの成果、取り組む姿勢や努力の結果を信じている。また、言い訳することができないほどの才能を持った選手たちがいるのだから、結果が出なければ、それは監督である私の責任以外の何物でもない。決して簡単な道ではなく大きな挑戦だが、それ以上のやりがいがあると信じている。
明確なのは、楽しく笑顔が生まれる環境ほど、物事は成功しやすいということだ。我々はそういった環境を作り出そうとしている
すべてのプレイスタイルに特徴があり、いい悪いというものではないしかし、私は自分で選んだスタイルで戦うし、それができなければ勝つことはできないと思っている
これはグァルディオラのFCバルセロナ就任会見での言葉である。
ちなみに監督としてトップチームを率いるのは初めてである
この言葉から私が肝に銘じたことがある。
- 結果についてのすべての責任は監督にあるということ
- 楽しくなければいけないということ
- 自分が信じるスタイル、戦術を貫くということ
当然、私はこれでメシを食っているわけではない、サークルチームの監督である
試合に観客がいるわけではない。だがこの3つは最後まで貫こうと思う。